《プロポス》皮やの話は、話半分にきいておけ

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プロポス
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皆さん、はじめまして。「皮や ねもと」といいます。

三味線業界では、三味線の皮を専門に製造し、小売店に卸していく業者は昔から “皮や” または “皮やさん” なんて呼ばれています。皮や ねもと は、私の父が27歳の時にひょんな事から開業し、紆余曲折を経て約50年に渡って、この業界で仕事をさせていただいております。とは、言っても50年では、この業界では老舗とは言えませんが。。。ですが、そんな約50年間で聞いた、多くの職人や同業者の知識やこぼれ話などを和楽器メディアさんで紹介出来たらと思ってます。

皮や ねもとの小話『民謡ブームと “皮や ねもと” の始まり』

さて、今日は「民謡ブーム」というお話。

今では、想像もつきませんが、昭和52年ごろぐらいから(1977年)この業界を一変させる、民謡ブームが起こりました。私などこの当時を知る由もなく、(ちなみに私は3歳)とにかく、三味線が、ばんばん、売れたそうです。古い店主に聞けば、「朝一番で、製造・卸の店に並び、開店と同時に、三味線を買い付けていく」なんてことは普通だったと、今では想像がつかないお話をしてくれます。そんなブームがおこれば、三味線に張る「皮」の需要も高まります。この当時は、国内で製造する皮やしかおりませんでした。そこに目を付けたのが、父の先輩で某デパートのバイヤーをされてた方でした。

 

「ねもとよ、三味線の皮は、消耗品。これを海外で安く製造、販売すれば、うまくいくんじゃね?」

 

多分、こんな風には言わなかったと思いますが・・・この話に乗ってしまったのが、うちの父です。このあと、とんでもなく苦労するのもしらずに・・・笑

 

始めるとなれば、まずは”リサーチ”です。ググればなんでもでてくるでてくる今と違い、図書館や商工会議所、大使館、いろいろと回ったそうで、その結果遂に目指すところは、韓国となりました。韓国では犬肉を食する文化があり(今も、かろうじて残っているそうです。)皮の供給は、簡単だろうと踏んだのでした。しかし、この当時は今の韓国と違って、がちがちの軍事政権の韓国です。ビザの申請も必要です。おまけに、父は学生時代、ご多分に漏れず学生運動をやっていました。(それもかなり入れ込んで・・・)こうなると、当時の韓国では、なかなかビザを発給してくれません。そこで、伝手を頼って、某国会議員に頼み、なんとかビザの件をクリアしたそうです。そして遂に韓国、ソウルに入ることができました。ソウルでは既に、某デパートバイヤーの先輩も入り、皮の仕入れから、加工作業をしてくれる人も見つけ、早速、製造となります。

が、しかし!!二人とも皮については、ド素人。どうやって作るかすら分かっていないので、とりあえず、アパレル関係で皮を仕込んでいる職人にやってもらうことになりました。そうしてなんとか皮ができあがった皮は、それはそれは酷いものでした。「三味皮になってないね!」っていう代物です。

そうです、皮の製造、特に三味線の皮の製造は、特殊なんです!(この事を言いたいために、ここまで、だらだら書いています。)

この特殊性と、どうやって使い物になる三味線皮を作っていくのかということについては、これからの記事で書いていこうと思います。

皮やという少し違った視点からの記事ですが、どうかお付き合いください。よろしくお願い申し上げます。

皮や ねもと

 

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