鼓童メンバー 三浦康暉とは
生年月日:1992年10月7日
出身地 :千葉県八千代市高校の部活動で和太鼓に出会う。2011年研修所入所。2014年よりメンバー。舞台では主に太鼓、踊り、鳴り物、唄を担当。全身を使いパワフルに打ちこなす一方、ダンスなども得意とする。
2018年には「Japanese Drums Concert」(エジプト)、「道」、「Kodo Next Generation」パリ公演、「FUJI ROCK FESTIVAL’18」、新作歌舞伎「幽玄」、「巡-MEGURU-」に出演。ロシア農業省主催「黄金の秋2018」ではクレムリン劇場で演奏。
インタビュー -三浦康暉-
ー和楽器メディアの稲毛です。
三浦さん、よろしくお願いいたします!!
太鼓芸能集団「鼓童」の三浦康暉です。
よろしくお願いします。
ー最初からすごくベタな質問なのですみません。
高校から和太鼓を始められたとのことですが、きっかけはなんだったのでしょうか。
自宅から自転車で5分くらいのところに、和太鼓部のある高校がありました。
その高校の和太鼓部に兄が入っていたのですが、演奏を見た時「カッコいいな!!」と思って入学・入部を決意しました。
それまでは太鼓にふれあうことはあまりなかったのですが、子供の頃からソーラン節などが好きで、感覚的に太鼓は自然と好きだったんだと思います。
ーお兄さんがきっかけだったんですね。素敵ですね!
三浦さんは高校時代はどんなプレーヤーでしたか?
バリバリのパワー系好きプレイヤーでした!!
(船橋)裕一郎さんのファンです!!
裕一郎さんの世代には個性的な方々が溢れていて、とても憧れています。
ーパワーも太鼓の魅力の一つですね!
高校から和太鼓を始めて、鼓童を知ったきっかけ、プロを目指したタイミング・きっかけを教えていただいてもよろしいでしょうか。
鼓童を知ったのは高校二年生の時でした。兄が鼓童の研修所に入ったのがきっかけで鼓童を知り、そこから鼓童を見に行くようになりました。
初めて見た舞台は「打男」でとても衝撃的でした。それまで自分の知っていた和太鼓は半纏に鉢巻き姿だったのですが、そこで見たものはラメの衣装だったり、ドレッドヘアだったりとカルチャーショックを受けました。
「打男」を見てから鼓童が更に気になって、その年の年末に再度公演に行きました。そうしたら今度は半纏に鉢巻き姿で出てきてたので、ビックリしました (笑)
そして、その公演で見た「獅子躍(鹿踊)」がとても印象に残っています。2~3mある「ささら」を使う演目ですごく迫力がありました。いろんな面から鼓童がすごく好きになり、鼓童に行ってみたいなという気持ちが芽生えました。
ー鼓童との出会いもお兄さんがきっかけだったんですね。
そしてそこから鼓童の魅力にはまっていったわけですね。
ー鼓童を好きになってから、鼓童の研修生になるにあたり、進路の際の迷いはありましたか?
あまり迷わなかったですね。
和太鼓をやるか寿司職人になるかの二択でした (笑)
ー寿司職人!?
はい、寿司職人です!
もし鼓童の研修生になれなかったら寿司職人、と真面目に考えていました。
でも、鼓童が地元に来て演奏を見た時、不思議なことに「この舞台、俺も立てるな」という気持ちになったんです。
今思えば失礼な話ではあるのですが、当時はなぜか”あっち側(舞台)”にいる想像ができてしまったんです。その瞬間、自分は鼓童に行くんだなと思いました。
ー予感がしたんですね。
はい (笑)
イケるな、という予感がなぜかしました。
ー(船橋さん)
実は私も自分の時に同じことを感じました (笑)
ー!?
船橋さんもですか!!すごい、皆さん何か感じ取るんですね。
しかし、入る前はそう感じたのですが、研修所に入って最初の稽古で先輩の音を一音聞いて「これはダメだ、1からやらないと追いつけない」って感じました。
ー有頂天から一気に現実に戻りましたね (笑)
はい!すべて崩されましたね。
ー不思議な予感もあり、鼓童の研修生になられたわけですが、
研修生時代のエピソードって何かありますでしょうか?
入って三日で辞めたいと思ったことです。
ー三日で!?
はい、三日です (笑)
ー(船橋さん)
よく覚えてますよ。5月に研修所で(三浦)康暉に辞めたいって言われました (笑)
ーそんなエピソードが…
でも、あまり覚えていないんですよね (笑)
準メンバーになった時に裕一郎さんに言われたのですが、覚えてなくて。
ー(船橋さん)
覚えてないの!?
はい、なんでか覚えてないんです…
ーしかし、三日で辞めたいって思った理由はなんだったのでしょうか?
早起きがきつくて…
早起きと、朝のランニングですね。
入って3ヶ月で15kg落ちました。
ー15kgも落ちたんですね!ダイエット本出せますね。
ー(一同)
出せますね (笑)
ーしかしそんなにきつかったのに、辞めずに正式メンバーになった理由ってなんだったんでしょうか?
研修生2年生の夏の時の佐渡で開催された「アース・セレブレーション」で、研修所で一緒に生活してきた1つ上の先輩が鼓童の半纏を着て舞台に立っていました。それを見て、とてもカッコ良いなと感じました。
そして、舞台の打ち上げで先輩から「(正式メンバーで)待っているから頑張ってね」と言われ、自分の中の考えが180度変わりました。
そこからは「絶対プレイヤーになるんだ!!」と、今まで以上に真剣に太鼓に取り組むようになりました。
それまでは辞めたいな、という気持ちをどこかにずっと持ちながら続けていました。ですが、それ以降は辞めたいという気持ちは一切なくなりました!!
ー2年目の夏っていうと…
ー(船橋さん)
2年目の夏ってほとんど最後じゃない (笑)
はい (笑)
2年目終わりまで4ヶ月くらいしかなかったのですが、そこからはガムシャラに頑張りました。
ー感動的なエピソードですね!
先輩からの激励を受け、頑張って正式メンバーになった。素敵なストーリーです。
三浦さんの軽快で面白いトークに笑いが生まれます!
ー三浦さんが正式メンバーになられてから5年ほど経ちますが、高校当時と比べて変わったと思う部分は何でしょうか。
高校時代は「あれやってみたい。これもやってみたい」と色々なものにふらっとしていた気がします。
しかし今は、シンプルに太鼓を打つことだけを考えています。太鼓を打つ為の体作りや身体の使い方、考え方を身につけている最中ですね。
ーなるほど、どんどん洗練されて行っているんですね。
ー洗練されて行く中で、今後はどんな演奏者になりたいですか?
宇宙を感じられる演奏者になりたいですね。
ー宇宙!大きいですね!!
昨年までの活動で自分の中にある程度型が作れてきたな、という実感があります。これからは自分の軸を持ちながら、いろんなことができる演奏者になりたい。
大きな太鼓もできる一方で踊りもできる。バリエーションに富んだ、キャパシティの広いプレイヤーになりたいです。
ーユーティリティプレイヤーといった感じですね。
目標の中で先ほど「軸」という言葉がありましたが、三浦さん自身どのようなものを軸とされているのでしょうか。
私は「心技体」という言葉を軸にしています。どれかが欠けてはダメだということが分かりやすく示されている言葉ですね。
去年、今年と大太鼓をやる機会があったのですが、これが正に心技体が必要なんです。
体の軸、心の軸、技の軸すべてが一致していないと、なんか太鼓がどこかでずれてしまう。お客さんに届かないんです。
まだその道のりの途中ですが、心技体揃った演奏者になれるよう頑張ります!!
ー「道」や「粋」で心技体揃った演奏が見られるのを楽しみにしております。
三浦さん、バックボーンから目指すものまで、色々教えてくださりありがとうございました。
ありがとうございました!!
ーこの後は引き続き「道」と「粋」についてのインタビューをよろしくお願いいたいます。
後編、和楽器メディアインタビュー
<鼓童特別公演「道」全国公演、鼓童特別公演2019「粋」>に続く…
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