『帝王學』に秘められた『和楽器』の在り方

※ 当サイトではアフィリエイト広告を利用しています


コラム
Sponsored Link
Sponsored Link

帝王學(ていおうがく)を知っていますか?

「算命学」などの占いの事を言ったりもしますが、
占いは帝王學の1つであり、
「天の理」を知る上のでの學問だったそうです。

ここでお伝えする「帝王學」は皇室や王族などに代々伝わる
「家督」の事を言い「帝王學」の學問の1つとして、
歴代の天皇は和楽器を演奏出来ることが条件だったそうです。

今回は日本の「帝王學」についてお伝えしようと思います。

《そもそも帝王學とは??》

本来、帝王學は普通の学校では教えてくれません。
何故なら天皇家や王族などは、一般人とは違う、
時間の流れの中で暮らさなければいけませんよね。

特に公務として文化の違う海外との交流があったり、
一族を維持していく為には作法やしきたりなど、

一族を守る為、国の為に次の世代へ
伝承しななければなりません。
一族だけではなく、国民や、官僚などを
統制が出来なければすぐ、国が滅びてしまいます。

例えて言うなら、一族流の「処世術」です。
最近は聞きませんが日本でも、

家庭では「お風呂はお父さんが必ず最初」とか、
家族のルール「家訓」を持った家も多かったのですが、
同じ様に考えるとイメージしやすいかもしれません。

帝王學と帝王学の違い
現代において、2つは同じと捉えても差し支えはないと思うのですが、
一般的に曖昧な定義なのが現状です。多くの漢字は戦後、
日本人の精神性を抑制するためアメリカ「GHQ」により規制されてしまいした。

同じ「読み」でも漢字の意味が大きく変わってしまったのですが、
「學」という字は先輩が後輩を「引っ張り上げる」という意味があるそうです。

つまり、先祖代々からの教えである「家督」も同じ事がいえます。
一方「学」は「自分で勉強する」という意味だそうです。
余談ですが、ビジネスの経験上では「帝王學」は経営の哲学的な教育、
「帝王学」は占い手法などのツールに使う傾向がある様な印象があります。

 

《四徳と和楽器の修得》

 

そんななか、日本の帝王學には
『四徳』(しとく)という教えがあるそうです。
『四徳』は他にも様々な教えがあるのですが、

「音楽は、治国治民のためなり」という教えのもと、

・學問→書
・管弦→和楽器(箏、琵琶など)
・和歌→詩
・礼→作法

と言う分類に修められ、
国を治める者の「道」として伝えられたそうです。

 

《エンタメ王国?! ニッポン》

 

日本の建国理念は、
「世界が一つ同じ屋根の下で仲良く」という様な
意味の建国理念があるのですが、帝王學の中に、
「音楽は皆是、治国治民のため」とも伝えられています。

とても、ほっこりするのですが、意外とシリアスで
その時代の天皇がどんな管弦楽器を選んで修得するかで
政治の行方が決まる、とも言われたそうです。

そこで国を盛り上げるため、リーダーが率先して、
「皆んなで今を楽しもうぜ!イエェー!」
言ったかどうかは分かりませんが、

和楽器を通じて「民衆を惹きつけられる素質」が有るのか、
無いのかによって、日本が平和になるのか、
争い事が起こる国になるのかが決まる重要な項目だったそうです。

また面白いのは、和楽器の中でも皇族が修得する
和楽器は「管弦楽器」と明確になっていることです。

理由は日本の神話「古事記」にも「オオクニヌシノミコト」が
「琴」を持って逃げた際、大木にぶつかり地震が起きたり、と
管弦楽器には神が宿るという考えが古代からあったそうです。

また、宮廷での合奏時に天皇が音楽をリードをする意味で
「弦楽器」の中から修得したとも考えられているそうです。

いずれにしても、多くの諸外国の国王がするような
「命令が主体」ではなく「音楽」という国民との共感力で
国を纏めようという考え方は素敵な考え方だと思います。

「Weare The World」という曲がありますが、
日本は、和楽器を通じて人と繋がるという事を
古代からすでに行ってきていたのです。

《これからどうする?日本人》

 

毎年日本では「歌会始の儀」を継続していますが、
和楽器の演奏会「御楽始の儀」として明治以降、
皇室から一般へのお披露目は途絶えているそうです。

80年代以降、和楽器の世界は衰退傾向と言われて
久しいのですが、和楽器の演奏会「御楽始の儀」が
復活したら新たな流れも出来るかも知れませんね。

そんな中、私個人は決して和楽器人口が衰退して
いるとは感じていないんです・・・。

なぜなら、今の世代は、洋楽のバンドから
楽器を始める傾向があるので、周りに和楽器を
持っていたり、演奏をしている人がいません。

もし、仲間が近くに居て手にとって1曲でも
マスターすれば、その音色の魅力や生音の迫力に
興味を持つのでは無いでしょうか。

つまり「衰退」ではなく「知らない」だけで
新しい世代へと変わる「過渡期」なのかもしれません。

とても重要で貴重な時代を生きていますが、
捉え方1つで「衰退」にも「発展」にもなります。

それらを認めた上で「今」をどうするのか・・・。

「稽古」とは「昔を考え、今を知る」という意味だそうです。
今こそ「帝王學」に則って考える時期かもしれませんね。

「歌会始の儀」
共通のお題で色んな人から公募された歌を詠み、披露する会で、
起源は明らかではないながらも奈良時代からあったと言われています。

「御楽始の儀」
歌会始の儀と同じ様に天皇が楽器の演奏を披露する儀式だったのですが、
明治以降は「弾く」から「聴く」側になっています。
国民がもっと和楽器に興味を持てば復活するかもしれませんね。

 

コメント

トップへ戻る
タイトルとURLをコピーしました