【コラム】何故「型」を学ぶのか?

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コラム
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型があるから型破り。型が無ければそいつは単なる形無し

これは、歌舞伎役者『中村勘三郎』さんの有名な言葉です。芸事だけでなく色々なものにおいて、この言葉がその通りだなと感じることが多くあります。

 

今回は「型や決められたやり方を守ることを何故守る必要があるのか」についてのコラムです。

漠然と「これがウチの型だから」「ルールだから」といって学ぶより、その意味を考えてやる方がモチベーションも上がります。その為に私なりの解釈を紹介します。

また、今回は「個人として型を学ぶ理由」だけでなく、「団体として型を学ぶ理由」も考えてみました。和楽器にも数多くの部活やサークル、団体や流派があり、その中でのルール、流派の型ややり方をなぜ守る必要があるのかという所に絡めてお話します。

まずは知らないことには始まらない。

例えばの話です。和楽器メディアでは写真撮影も行なっていますが、写真を撮るにもそもそもカメラの構造や性能、何故写真が撮れるのかということであったり、構図やテクニックについてであったりといったことを知っておいた方が良いのです。

それは何故か?

 

知らないと良い写真が撮れない(撮りづらい)からです。

 

「別に知らなくても構わないのでは?」と思ったりもしますが、撮りたいと思う景色に出くわしたとき、景色までの距離感であったり、その時の時間帯によってベストなカメラの設定は異なるので、知らないとその時々のベストが分からないのです。

また、「何を収めたいのか」などの構図も知っていないとわからない。ただ、そこに景色が収まっているだけの写真になってしまい、せっかく心が素晴らしいと感じたものを表現仕切れないのです。

 

これは、知識として、経験としての蓄積がなく、選択肢が少ないから起こることです。

 

そんな状態で、自分らしさという言葉を用いてやってみても“そのものの本質”をとらえていないもの・表現仕切れていないものが出来上がります。

何度かやっていると、偶には良いものができるかもしれません。しかしそれはあくまでたまたま、もしくは本当にセンスがあったかという話です。

これは和楽器を始め、多くのことに当てはまるなと思います

 

折角やるなら、いつでも自分の思いを表現できる方が楽しいのではないでしょうか!!

 

知識と経験の蓄積を行うためにもまず、型を身に着けた方が圧倒的に良いんです。型を身に着ける過程でその物事の本質を見つけ、選択肢を増やす。そのうえで型を破る。

そうすると、型を知っている人には驚き感動し、共感してもらえるのが届けられ、型を知らない人にでも、蓄積した知識と経験から質の高いものを提供することができます。

だからこそ、まずは型を学ぶということが大切なんです。

 

型を会得し、先へ進む言葉『守破離』

型を学ぶ大切さを説明しましたが、その型を会得するまでの流れを体系化した言葉があります。

それは

 

守・破・離(しゅ・は・り)

 

という言葉です。

 

和楽器や伝統の世界にいると結構聞くことのある言葉ではないでしょうか。これらの意味は以下の通りです。


:教えを徹底的に守り、型を手に入れる

:手に入れた型をうち破る

:師の元を離れ自らの型を編み出す

この言葉に多くの先人の努力が詰まっているなぁと感じます。先ほどの型を学ぶ大切さがこの言葉には凝縮されており、私自身とても好きな言葉です。

 

団体で型やルールを守る理由は個人のそれとは少し異なる?

型を学ぶ、守破離という言葉の意味は年を重ねるうちに、その大切かが自然とわかるようになったりします。

しかし、これを学生の時代に理解しろっていわれると中々難しいですね。では、学生にこの型を覚える理由をどう説明するか、という所を私なりの解釈で説明していきます。この説明にこそ、型を団体で学ぶ意味がありました。

 

私は高校で和太鼓の指導をしていたことがありますが、新入生には太鼓経験者が少なからずいたりします。その中には、純粋に今までやっていた自分の流派一番となり、部活でも自分の流派を貫こうとしてしまう子もいたりします。

自分の意思があるのは素晴らしいことで、それが100%いけないわけではないのですが、団体の中に入るということは一種の共同生活であり、その中でのルールややり方に則る必要がある為、こんな話をします。

太鼓にはいろいろな流派がある。
どの流派も違いがあり、そこに正解などはない。
だけど、うちに入ったらまずはここの打ち方を覚えてほしい。

それはなぜか?

流派という一つのルールだからだ

 

皆で遊んだり、ゲームしたりスポーツしたりするとき、ルールがないとめちゃくちゃになってしまう。
サッカーやろうっていうのにバット持ってきても困るでしょう。

 

みんなで共通のものを学ぶからこそ、みんなで遊べるし、遊べるフィールドが大きくなる。

それができたら、今まで自分の培ってきたものをその上に乗せるともっと楽しくなるし世界が広がる。

 

だからまずは、うちの打ち方を覚えよう。

 

何故型を会得するのか。ここにもう一つの私なりの答えがあります。

 

押し付け、強制する為に型があるのではなく、皆で楽しくやるための共通のツールとしての型。

 

個人なら冒頭の話や守破離の解釈で型を学ぶのでも良いかなと思います。ですが、団体として型を学ぶという場合はこちらの説明の方がしっくりきます。

共有できたら、もっと楽しいし、幅が広がる。そうすればそこから先の型破りだってもっとすごいことになる。束縛する為ではなく、より伸ばし、広げるために型を学ぶ。そういうことではないのかなと思います。

 

「型」とは、個人にとっては表現を高めるものであり、団体にとってはフィールドを広げるもの

型を学ぶことの個人的意味と、団体的意味。人によって解釈はあるかと思いますが、私が邦楽に携わってきた約20年で感じた一つの解を紹介しました。

型を学ぶということ、何かをやる時に案外理由もなく「学ばなきゃいけないもの!!」として実施することが多いかと思います。

それは時に腑に落ちず、やる気を削ぐ原因になったり、モチベーションが上がらない元になったりします。でも、理由がどこかにあるならその理由を明白にすることで、納得してより効率よく、モチベーション高く物事に取り組むことができるのではないでしょうか。

その為、今回は私なりの「型」についてのコラムを書きました。これは人それぞれ考えがあると思います。こういったコラムを通して、「自分はこう思う」「今まで考えてこなかったけど考えるきっかけになった」という始発点になれば嬉しいですね。

理由がないものも世の中にはたくさんありますが、「何故?」という心・好奇心を持って色々なことに取り組んでいきたいですね!!