Previously on 皮やねもと (前回までの皮やねもと)
安易?にも韓国で、三味線の皮を製造して売ろうと考えた、若き皮や ねもと は、早速、日本の三味線屋に持ち込むも、「三味皮になってないね。。。」と酷評されたところ。
さて、今回は三味皮とはどうあるべきか?を説明します。
1)皮の表面の銀面(ぎんめん)
なめした皮の表面がきめ細かく、光にかざすと、やや光沢が見られる。決して真っ白ではない。
2)裏皮の処理
皮の裏側も綺麗に処理されており、薄皮が残っていない。
3)皮張りの際、湿しを入れます。(湿し・しめし とは、手拭いを水で濡らし、程よく絞り、三味皮に水分を入れる作業。)その時に、三味皮が、クタクタ~と間延びするのは、得てして使えない。ある程度の硬さが残るのが良い。
4)湿しを入れた後に、三味皮の裏側を軽石や、紙やすりで擦り、薄皮を取る際、ボロボロと薄皮が出て、綺麗にならないのは音抜けも悪く、よくない。
(紙ヤスリで裏を取った後の薄皮)
5)皮張りの際、皮に強さがなく、ずるずる伸びるのは、最悪。皮に強度、戻り、または弾力性が作業中に感じられないといけない。
6)そして、張り上げたときに、表面を叩いて、音が抜けて、金属音のような硬い音がでないといけない。
これらがクリアされたものが、本当の意味で上質な三味皮といえます。
さて、若き ねもとが製造した三味皮はこれらに該当せず、先の「三味皮になってないね。。。」という言葉になりました。しかしながら、この当時はまだ業界に余裕があったというか、こういう挑戦をする人にサポートしてくれる職人さんもおりました。特にお世話になったのが、根岸にある三絃師のHさんでした。その紹介で、三味皮を戦前の中国の天津で製造していた事がある朝比奈嘉造さん(仮名)と知り合うことになりました。この老人、いやはや只者ではありませんでした。
戦前、中国は天津にあった日本の租界地は、今では知られていないけど、アヘン、モルヒネなどの取引で繁栄し、そうなると遊郭なども出来、(金あるところに俗あり)芸者衆も多かったとか。(諸説あり)
そこで三味線の皮を製造し、現地で営業している三味線店に販売、または日本にも輸出していたのが、朝比奈嘉造さん。噂では、戦中は関東軍の特務機関に所属し、抗日ゲリラの動向を市井から、集めていたとか。(嘘か本当かは全く不明)
早速、この老人を訪ねるべく、大阪に。。。
そして嘉造翁の話は、後から効いてくるんです。(笑)
次回のプロポスをお楽しみに!!
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