袖香炉に思いを寄せて。

プロポス
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初めて投稿させて頂きます。

 

生田流箏曲・地歌三弦を中心に、時々バンド「王宮ネリエス」さんで尺八を吹いております東啓次郎(あずま・けいじろう)と申します※バンドでは東眞音斎(あずま・しんおんさい)を名乗ってます。

 

先年、和楽器メディアさんから執筆の依頼を頂くもなかなかタイミングが掴めずにおりましたが、漸くですけども初めての記事を書かせて頂きます。

 

私は基本的に地歌箏曲の中でも、古曲(古典とも)とよばれる江戸時代から明治半ばにかけて作曲された曲を中心に演奏することが多いです。※因みに三味線音楽の河東節・荻江節・宮薗節・一中節の総称も古曲と呼ばれますが、混同しないように私はできるだけ古典と称したいのですが三曲ではしばしば古曲と呼ばれてますので、慣習に倣い古曲と呼ぶことにします。

 

くぅ遺影。晩年の頃。

さて、本題に入りますけども先日当家の愛猫くぅ(クゥ)がこの2日に13歳9か月で旅立ちまして、5日に葬儀、翌日に火葬を行いました。※詳しくはブログ等をご一読頂けると幸いです。

 

この期間、私は飼主としてできるだけの供養をしようと葬儀前夜には尺八古典本曲の「手向(たむけ)」を吹き込み、火葬の日の時間に合わせて地歌の「袖香炉」を三弦で弾き歌い偲んでおりましたが、愛すべき家族ともいえる存在を亡くした悲しみは深いものです。※手向は私のYouTubeチャンネル、袖香炉はFBとツイッターにて公開してます。

 

長く過ごして来た分、門下をはじめブログやFB・ツイッター、はたまたインスタグラムの記事においても多くの皆様から愛され、沢山の書き込みを頂き飼主としてとても有難く思います。

 

ある時の自分の演奏会で袖香炉を弾いたときの様子。

何年か前の自分の演奏会で袖香炉を弾いた時の写真です。

 

袖香炉は大坂の峰崎勾当によって作曲された二上り端歌物でして、元は勾当の師である豊賀検校の追善(1785(天明5)年没)のために作曲され、歌詞の中に師の名前である豊賀が織り込まれているのです。

歌詞は以下の通りです。

 

春の夜の闇はあやなしそれかとよ、香(か)やは隠るる梅の花、散れど薫りは尚残る、袂に伽羅の煙り草、きつく惜しめどその甲斐もなき魂衣(たまごろも)ほんにまあ、柳は緑紅(みどり・くれない)の花を見捨てて帰る雁(かり) 作詞・錺屋二郎兵衛(かざりや・じろべえ)

 

短い歌詞なのですが、中身は非常に濃くて豊賀検校の遺徳をベースにして平安時代の和歌や古典文学、漢詩の素養をもさり気なく歌詞に採り入れた錺屋二郎兵衛の教養ぶりと、それに合わせて淡々としながらも師への思いを曲にした峰崎勾当のセンスには今更ながら頭が下がります。

 

それで、師匠の名前をどうやって歌詞に入れたのかというと、冒頭の「それかとよ、香(か)やは隠るる」の箇所に豊賀とそっと苗字を忍ばせてあるのです。

 

峰崎勾当の曲には大曲の残月(手事物)も追善物として伝わっておりますが、残月は若くして亡くなった女性の門下の戒名「残月信女」から題が付けられてます。

 

愛すべきものとの突然の別れに際し、残されたものとしてのつとめは普段の生活を営みつつ亡くしたものへの思いを寄せて折に触れてはなつかしみ、良い思い出に癒されて、これからも生きる限り偲び続けていこうと思います。

 

勿論、生前から好きだった三味線やお箏、苦手意識のあった尺八も含めて演奏することも忘れずに。

 

そして、私が旅立つときに先立った初代のチャイと共に再び会えることを願って。

 

 

 

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