津軽三味線の木材といえば紅木。硬さや見た目の面からも三味線のメインの木材として使われることが多いです。最高級品の紅木の三味線だと100万円以上するものもたくさんあります。
しかしながら三味線には紫檀や花梨という木材もある中、なぜ紅木という木材がこんなにもメインの木材になったのでしょうか。
諸説あるお話の中で、今日は三味線屋さんから聞いた一説を紹介いたします。
空前の民謡ブーム到来!!
戦後になってから空前の民謡ブームがありました。
これは地方から出てきた若い人が金の卵達とよばれた時代です。故郷と繋がりを持てる1つのツールとして民謡がありました。
その方々の生活が徐々に豊かになり始め、民謡を嗜む人が増え、そこから民謡ブームというものが訪れたそうです。
また、このブームに合わせ民謡居酒屋もたくさん誕生したと言われています。当時は民謡居酒屋が色々な所にあり、日々たくさんの方が切磋琢磨し腕を磨いていたそうです。
インドからのニューカマー「紅木」来たる
時を同じくして、インドで材木を仕入れていた方が、紅木を初めて日本に持ち込んだそうです。
非常に硬くて安いとのことで、この木材で試しに三味線を作らせたそうです。紅木への注目はそこから始めました…
▼写真は三味線の原木、出来上がる前はこんな感じになってます
紅木の素晴らしさに気づく
紅木で試しに作った三味線に美しい木目がある事に気がつきます。虎柄のような模様で「トチ」と呼ばれているものです。
これはそれまで主流だった紫檀の三味線にはないものでした。
紅木は水に沈むほど密度が高く非常に硬いんです。「硬く・美しい木目・安い」という三味線の木材としての魅力に注目が集まり、そこから紅木の三味線がドンドン作られていきました。
また、トチの美しさも紅木によって異なり、その美しさによってもランク分けされるようになっていきました。
民謡界が整い始める
同時期の民謡ブームの中で、民謡界にも師匠と呼ばれる家元制度が整い始めます。今のような形が少しずつ見え始めました。
当時は、藤本派が最大の組織だったそうで、会員総数は100万人いたのではと言われています。
このブームの中に、多くの三味線屋が入っていくことで加速し、民謡ブームはピークを迎えたそうです。このブームの時は、一日に三味線が何本も何本も売れるといったほどの人気ぶりで、とても儲かる商売だったそうです。
まったくの素人でも三味線を工房に作ってもらい、それを売るだけで商売になったという程です。
この三味線爆売れの時代の中で、紅木の三味線は見た目も実用性でも素晴らしく、ブームに上手く乗ることができ、その名を馳せていいきました。
紅木の三味線、反発はなかった?
新しい素材で作る三味線となると反発もありそうですよね。
しかし、それがあまりなかったそうなんです!!
それは、民謡自体が新しいジャンルで固定概念といったものがあまりなかったからとのことです。
それに加え、紅木の木材としての素晴らしさからも歓迎されたそうです。
こうして紅木は広がったのです
民謡ブームの中、日本に持ち込まれた紅木が三味線との親和性もあり、このように現在トップクラスの材木に辿りついたわけです。
確かに紅木の三味線は美しい木目で見とれてしまいますね!!
しかし現在、質の良い紅木の原木は中々取れず、値段がドンドン高騰しています。いずれは紅木の新品の三味線は手に入りづらい超高級品になっていくものと思われます(現在でも高級品ですが)
紅木の三味線が作られたルーツを考えると、三味線の素材ってもっと色々なものでも良いのかな?なんて思ったりもしますね。新しい木材によって作られた三味線が第二の紅木になり、後世に広がっていく可能性も大いにあるのではないでしょうか?
おまけ、紅木は明治時代にはあった?
実は紅木は明治時代には既に使われていた、という話もあります。確かにその時代には海外から様々なものが輸入されていてもおかしくありませんね。
一体紅木はいつから使われだしたのか、色々な説があり詳細は不明ですが、ストーリーがあると面白いですね。いつか他のストーリーもまとめていこうと思いますので、お楽しみに!!
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