Previously on 皮や ねもと(前回までの皮や ねもと)
知り合いの三味線屋さんの紹介で、本格的な皮をつくるべく、アドバイスを求めに大阪に行く。
大阪で出会った朝比奈嘉造という老人。戦前、彼は中国は天津で皮を製造していたと聞き、アドバイスを求めに行ったのだが…
その店は駅から10数分のところにあった。皮を専門に製造、卸をしていると思いきや、皮は主要な商品ではなく、三味線とそれに付随する商品を販売しているお店だった。早速、お店に入ると、その小柄な初老の男性はは上がり框に座って待っていてくれた。
「いよ、あんたが外地で三味線の皮を作ろうとしている方かい?」
歯切れのよい東京弁で、話すこの人。聞けば生まれも育ちも浅草育ち。戦後になって、大阪に居を構えたので、言葉は今でも東京弁。前歴の噂を聞いていたせいか、おっかない老人を勝手に想像していたのだが、小柄な人で拍子抜けした。
「お前さん、奇特な方だね。外地で皮を作るなんて。ひとつ昔話をしてあげるから、一緒に蕎麦屋までつきあわねーか。久しぶりに、昔話をしてやろう。うちの倅は、ひとつも聞いちゃいないから、話がいがねーや。皮やの話は、冷酒なみに、あとから効いてくるぜ。」
すると奥に座って皮張りをしていた倅といわれた青年が、笑いながら
「親父の与太話に付き合ているほど、暇な体ではないんで。ねもとさん、親父の話半分で聞いておいてください。うちの親父は、調子にのると話が長くなりますから。」
こんな感じで、あいさつもソコソコに、店を出ていきつけの蕎麦屋へ。
店内に入ると、モリとかき揚天を二人前とカウンター越しの親父に注文し、奥まった先の席に着いた。
おしぼりで、顔を拭きながら、嘉造さんが
「天津にいたころ、なんの因果か、軍の命令で情報を集めろ!なんて言われてね。しょうがないから、中国人と毎日麻雀打ってたんだが、下手くそだから負けてばかり。これじゃ、金も続かないって、裏で昔取った杵柄、皮の商売を始めたら、とりあえず小遣いには困らねーようになった。」
展開があまりに、早かったので緊張し続けてたねもとは、思わず声が裏替えりながら
「あの特務機関って話、本当だったんだんですね。」
嘉造さんは、笑いながら
「根っからの不真面目で、麻雀と酒ばかり。おかげで、戦後のゴタゴタでは手下(てか)の中国人が、この人は皮の商売をしていた人で関係ないって庇ってくれてね。下手な麻雀ばかりしていたおかげで、命拾いよ。」
「さて、あの天津で商売してたころな、手下の中国人に、オスの成猫の原皮をそれこそ、子供の駄菓子程度の値段で買うって触れまわせたら、いやはや、そこらじゅうの子供が、持ってきやがる。これを、別のもんに仕込ませて始めたのよ。」
話が長くなりましたが、ここが今回の話のポイントになるんです。
原皮を、嘉造さんは、子供の駄賃程度で買い取った。しかし、ねもとは、肉屋で訳もわからず購入した(前回の話)。この時点で、製造単価が大きく変わってしまいました。そして、製品の歩留まりも同じくです。
嘉造さんは、オスの成猫と限定し、値段も嘉造さんが決めた。
皮やの基本は、原皮の調達にあるのです。
虎は死して皮を留め、猫は死して音を奏でる。
つづく
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