音楽の力はない
という人がいる。
”音楽の力”という表現が嫌いだという人もいる。
本意かどうかは分からないが有名な作曲家の方もそんな記事を出していた。
きっと自分の名前だけが先走って、それを「今だからこそ音楽のチカラです」と言って利用されるのが嫌だったのだろう。音楽ではなく、「あなたのチカラです」みたいに聞こえたのかもしれないし、ほんとうに音楽を愛するひとだからこそ、出た言葉だったのかもね。
まあ僕はその時、逆転の発想で「なるほど!」と思ったんだけど、
僕の考えはこうだ!
音楽の力っていう言葉は使い古されていて、もしかしたら音楽には力はないかもしれないけど、きっと音楽のチカラを生み出すのは、”聞く人の心の中に「音楽の力」が宿る”からなんだと思う。
もちろん音楽を奏でる人の表現力もあるかもしれないけど、聞く人があっての音楽。
「あー良い曲だな~」とか聞く人が感じる一種の勘のようなものが、感動に繋がるのかもね。
そんな気持ちになる音楽をやっていきたいな。
だから音楽家が「音楽の力という言葉は嫌いだ」という謙虚な気持ちも分かるし、でも、きっとどこかに音楽の力はあるんだよね。
それは目には見えないけれど、絶対にある。それを信じている。
CDは売れなくなっても、ぜったい音楽はなくならないし、もともと音楽を売るようなことで音楽は始まってないんだ。
ひとりの天才が現れて、楽器を奏で、その音楽を愛する人がいて、聞きに集まり、人々は感動し、生きる上で必要とし、演奏家は後世に音楽を残そうと頑張った。それが広がり楽器や譜面の発明につながり、ひとつの音楽の力として長年にわたって発展してきた。
日本もそれぞれの楽器で受け継がれている譜面などある。
しかし多くは人から人へ伝わって来た音楽が多い。江戸囃子などはちゃーんと日本的な譜面があるけれど、お祭りの和太鼓など口唱歌として口から口へ、人から人へ伝えられてきたんだ。
そんな和楽器は、いにしえの日本人が愛して残してくれたもの。
みんなが太鼓や篠笛で小踊りし、
三味線の音色に聞き惚れ、
尺八の中に日本人の精神性を見つけ、
箏の優雅さに時間を忘れたんだ。
ほんと大感動してきたんだ。「これ良いな~」ってね。
知ってる?この音色ってみんなの心の中に受け継がれているんだよ。
だから僕たちも、みんなが「これ良いな~」って思ってくれる音楽をしなくちゃいけないんだ。
心から感動する音楽を。
その人の生きる力になる音楽を。
その人が人生の一歩を踏み出せる音楽を。
その人の心が癒される音楽を。
その人が時間を忘れるような音楽を。
それが音楽の力。
音符を並べるだけじゃない心がこもった音楽は必ずある。
聞く人の心を打つ音楽。
真っ直ぐに届く音楽。
そんな音を残していきたいな。
和楽器に託された「音楽の力」を信じて。
井上良平
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